+  明るくなってゆく空  +



 目を覚ますと、自分の部屋とは違う天井に気付いた。東に面した窓から陽光が深く部屋を照らしている。
「………」
 どこだろうと首を廻らすと、統一されたレリーフに竜騎士の砦だとわかる。
 ああ、そうか。
 清潔なシーツに身をゆだねたまま、目を閉じて思いを巡らせた。
 目覚めぬ竜。気付け薬の材料を求め、シークの谷へ。最奥に咲いていた月下草。現れたウィンディ。……テッド。反応を示した紋章。許してくれ……と彼らしくない表情で告げられる、祈りの言葉。語られるソウルイーターの由来。そして。
 何もかもが幻のようで。自分の右手に吸い込まれるテッドの魂の温かさに、泣きたくなった。300年間放浪し続けた旅がこんな形で終わるなどと。過去の世界で会った幼いテッドは考えただろうか。
 死神が鎌を振り上げたような紋様。火の紋章がその猛々しさを表すように、実に忠実にその本質を表しているではないか。
 自分の右手に宿っている事さえ忌々しい。叶わぬとはいえ、その姿を見たくないがために掻き毟りたくなる。
「どうして……」
 ポツリと声が漏れる。右手を天井に差し伸べ、じっと眺める。
「テッド……どうして」
「なに、情けない声出してるんだよ」
 唐突に声を掛けられてぎょっとした。声のする方へ振り向くと、扉の前にルックがいた。
「……いつからここに?」
「あんたが起きてからだよ」
 常と変わらず不機嫌そうな表情で答えるので、嘘か真か判じ難い。差し込む陽の光を背景に窓際に立つ。逆光のせいで余計表情がわからなくなった。
「そっか……」
 情けないな。
 気配さえ気付かなかった。それどころか“らしくない”振舞いまで見られてしまった。
 くやしさと、多少の後悔と共にアシナは表情を引き締めた。
「皆は?」
「まだ寝ているよ。ハンフリーとフリックは昨日遅くまで話し合っていたから、起きてくるのはしばらく先だろうね」
 淡々と話すルックから、その真意が測れない。せめて窓際から離れてくれれば。
「ルックは何をしに来たんだい?」
「あんたの情けない顔を拝みに」
「ルックらしいね。それで期待には添えたのかな?」
 にこりと笑いながら答えると、ルックが舌打ちしたのがわかった。
「完全にとは言い難いけどね」



「その紋章、大切にするんだね」
 ルックがそう言い出したのは、部屋に射しかかる陽光が弱まってきた頃だった。顔に掛かる髪を鬱陶しそうにかき揚げて、こちらを見ている事までは予測がついた。
「あいつとの思い出を忘れたくないなら、いつまでも持っているといい」
 意図してなのか、単調に物を言うので会話の先が見えない。“物分かりの良いリーダー”を勤めてきただけに、先を読もうとする事が習慣になっている。何と答えれば良いのかわからなくて、ただ黙った聞いた。先を促すように、首を傾げる。
 あくまで単調に繰り返される会話。
「大切にしていなよ」
 窓際のシルエットがやや身じろいだ、……気がした。気のせいだったかもしれない。
「……いつの日か、あんたが次の継承者にそれを渡す日までね」
 短い沈黙の後に苦りきった声音でそう呟かれた。
 自分の表情が強張るのがわかった。口から出てきた言葉にもその強張りが表れる。けれど、それを隠す事はできなかった。
「そんな事、しない。僕がいつまでも持っている。持ち続けてみせる。こんな……嫌な思いするのは僕が最後でいい」
 睨み付けるように宣言した。
「そうだね、でも」
 でもね、と紡がれる言葉にはどこか哀れみが含まれていた。
「あいつも、その前の持ち主もそう思っていただろうね」
「………」
 桟に手を掛け、寄り添うように窓際に立つ。まだ逆光で表情が見えない。
「きっと今までの持ち主、皆が思った事だろうね。それでも継承するしか道がなかったんだよ。だから……今あんたの右手に宿っているんだ」
 テッドも同じ気持ちだったのだろうか。その苦しさを知りながら、追い詰められ逃げる事もできずに紋章を手放した。そして彼は今この紋章の中で眠っている。
 シーツの上に投げ出された右手を愛おしく抱きしめた。
「わかってる……テッドはあの時から何度も僕に謝っていた」
 忘れたくないやさしい思い出があった。
 忘れられない辛い思い出があった。
 忘れてはいけない残酷な思い出があった。
 これから増え続けるたくさんの思い出を携えながら、
「うん。あんたは、その日が来るのを引き延ばしていればいいんだよ。」

「だから……そう思っている限り、あんたは紋章の及ぼす影響は考えないでいいんだよ……」
 総ては紋章を守り通した後に考えればいい。今は前を向いて歩む時なんだから。
 それは卑怯な逃避と採られるかもしれないけれど。
 治りきらぬ傷跡を持ったアシナにとっては、紛れもなく癒しの言葉だった。

「ルックはこの紋章の本当の意味を知っていたんだね……」
「………」
 シーツに埋もれたまま天井を見上げていた目を窓に向ける。
 ルックは何も言わなかった。
「怖くは、なかった?」
「………」
 強く差し込む光はほとんどなく、体と窓の隙間から覗く空がどこまでも青い。
「どうして、僕の側にいてくれたんだい?」
「僕があんたの側にいるのは、レックナート様に言われたからだよ」
 それ以上に理由なんて存在しないよ。
 つっけんどんに吐き捨てながら、そっと目を伏せ答える姿が、
 綺麗だと思った。
 何でこんな時に。
 そう思った自分がよくわからなくて、おかしくて。
 くすくすと笑い出したアシナを尻目に、付き合いきれないと肩を竦めてルックは足早に部屋を出て行った。
 一瞬開いた扉から、砦に住む人々の生活音が滑り込んでくる。
「柄にもない事してくれちゃって」
 不謹慎にも笑いが止まらない。
 それでも、
「……ありがとう」
 すでにない人影に向かって囁いた。

 アシナはゆっくりと寝台から下りると窓を開け放った。
 目下で竜騎士たちが忙しなく動き回っている。竜が目を覚ましたようだった。
 身支度を整えながら、フリックたちは起きたかなと考えた。

 そしてルックに言いそびれた言葉をいつ言おうか思案しながら、


 今日中にここを発とうと思った。



end
1999/09/03初出 ・ 2001/10/11改稿

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