+ 主観と客観の鏡 +
軍主に付いてサウスウィンドゥへ行った折、古道具屋で小さな鏡を見つけた。
縁取りに繊細な蔦模様をあしらった骨董品だ。少し色落ちしていたが、鏡部分に損傷は無い。
わずかにそれとわかる葉の色に、シーナはかの魔法使いを喚起させられた。
一度そう思うと、妙に気になりだした。
さて、買うか買うまいか。
そう思ってじっと見つめていたら、一緒に供をして来たビクトールにからかわれた。
「女にプレゼントか?」
手加減無しに叩かれた背中が痛い。文句を言ってやりたかったが、結局買ってしまった辺り自分でも弱いなと思った。
手のひらに収まる鏡に映るのは、どこか浮ついた感じの自分の顔。いつもルックに笑って見せる顔はこうだったかと、にっと笑ってみる。鏡の中の自分も笑った。ルックにはこう見えていたのか。
自分で自分を直接見る事は出来ないから、鏡を通して自分を見る。
鏡を見る事なんて全く珍しくもなかったけれど、この鏡に映るものはルックが見ているものと同じものだと考えると、それはそれで面白い考えだと思った。
そうだ、ルックにあげよう。
だからそれはふと湧いた思いつきだった。
ルックは自分の価値をわかっていない。少しは自分が人からどのように見られているか、気に留めてくれれば良い。
もし鏡を持たせれば、ルックがいつもシーナにとってどのように見えるか、わかってくれるかもしれない。
子供騙しな事はシーナ自身わかっていたが、それで良いと思った。ルックは意味もなく話す事を嫌うから、少なくともルックと話をする機会には成り得るはずだ――。
瞬きの手鏡で本拠地へ戻ると、シーナはすぐさま石板の前を覗いた。しかしルックの姿は見えず、ただ石板があるのみだった。図書館かと思い覗いたがやはりいない。
あと残るは……屋上か。
途中階で彷徨うエレベータを待てず、階段を一段飛ばしで駆け上った。踊り場にいた城の住人が物珍しそうな表情を浮かべてシーナを見ていたけれど、早く鏡をルックに渡したかったので、瑣末な事は気にしない事にした。
全身で息をしながら屋上に立つ。無人の屋上にハズレか、と脱力して壁に寄りかかった。そのまま引き返しても良かったが、せっかく来たのだからと少しの間屋上にいる事にした。
城一番の高みなだけに、眺めは展望台よりも遥かに良い。城下の様子を何の気なしに眺め、そして気付く。
頭上――と言うか後背に誰かいる。
振り返ると果たしてそこにはルックがいた。屋上から無骨な梯子で上れる屋根の上、普段はフェザーがいる辺りにルックは座っていた。
反対を向いて座っていた為か、シーナに気付いている様子は無かった。ただデュナン湖を見ているように見えた。
何をしているのかと気配を消して梯子を上る。八割ほど上った所で横顔が見えた。小鳥が腕に止まっている。ルックはその小鳥に顔を近づけて、笑っていた。口の端を上げるだけの笑みだったが、その顔が思いの外柔らかくて上る手が止まった。
珍しい事もあるものだと見ていたら、ぱっと小鳥が飛び立って行った。瞬間、名残惜しそうに見えたルックの表情は、シーナの方へ向けられた時には普段の不機嫌そうなものに変わっていた。
「人の顔じろじろ眺め回して、楽しい? 上るなら早く上れば?」
「いやぁ……珍しいものを見て縁起が良いなぁと」
残りを一気に上がり、ルックの隣に腰を下ろした。
「それで、ここに何か用? それとも僕に何か用?」
「あ、そうそう。ルックにあげたい物があってさ……」
鏡を取り出してルックの前にかざす。両面見せようと回転させると、陽光が反射した。
「……鏡?」
「サウスウィンドゥの古道具屋で見つけたんだ、綺麗だろ? ほら、」
ルックと自分の顔のちょうど中央に構えた。鏡面をルックの方へ向ける。
「俺から見たルックがどういう風に見えるか知らなかったろ? どう? こういう風に見えるんだぜ」
鏡の陰でルックがどのように反応を示したのか見えなかった。
「……いらないよ」
「え」
思いのほか暗く呟かれた声に驚いて鏡を退けると、ルックは視線を逸らせてデュナン湖を見ていた。眉を軽く寄せ口をへの字に結んでいる。
何が気に入らなかったのか、シーナにはわからなかった。
「そんな事言うなよ」
「鏡なんか持っててどうしろって言うのさ。四六時中眺めて、水仙になれって言うの?」
言葉に刺々したものが含まれている。けれど、言葉と同時に振り向いたルックの顔には険悪さ以外の何かが含まれていた。
けれどもその正体がわからない。もどかしさばかりがシーナを襲う。そんな事言ってない……それ位しか言えない自分が悔しい。
きっと、あいつならば、すぐにわかってやれるんだろうな………
無力な自分に歯噛みした。
「とにかく、僕は鏡なんて要らないから。誰か女の子にでもあげてくれば? そっちの方が喜ばれるんじゃないの」
もう用事は無いだろと言わんばかりに立ち上がろうとする。
「ちょっ……待て」
思わず反射的に法衣の袖を地面に縫い付ける。袖を掴まれたせいで動くに動けず、ルックは溜息をついた。
「何、まだ何か用なの?」
「な、せめて何が気に入らなかったのか、言ってくれよ」
にっと笑って陽気に語りかける。こんな時に自分はどうして笑っているのだろう。片目をつぶる余裕さえあった。反射的に笑ってしまう、こんな自分は嫌いだ。
「同じ理由で女の子に貰ってもらえなかったら泣き面に蜂だし」
ああ、こんな事言うつもりじゃなかったのに。
他に幾らでも理由を聞く方法はあっただろうに、どうして自分はこうも不器用か。
何処の誰でもなく、ルックだからこそ貰ってもらいたかった。ルックに受け取ってもらわなくては意味がないのに。
「………」
ルックはそんなシーナの瞳をじっと見つめていた。その瞳に何を思ったのか、少し考えてからルックはシーナの手から、素早く鏡を奪い取った。シーナが反応する間もなく、鏡をシーナの顔の前に持ってくる。
鏡に映るのは、どこか浮ついた感じの自分の顔。
そして、その瞳に揺れる自己嫌悪の光。
「わかった? これが理由だよ」
ルックの声が遠くから聞こえるように思えた。実際は隣り合わせで座っているというのにそういう気がしない。
固まったまま鏡を見つめるシーナに鏡を押し付けると、ルックは流れるような動作で立ち上がった。
「鏡を見る度に自分の不機嫌な顔見ても、あまり良い気持ちはしないよ……そういう事」
どこか虚ろな声を響かせて、足を運ぶ。シーナが金縛りに掛かったように見守る中、ルックは梯子を使わずに屋上へ直接飛び降りた。風に守られているように、着地した時の音さえ聞こえなかった。
階段を下りようとするルックに、漸くシーナは慌てて身体を起こした。
「ルック!!」
ほとんど手掛かりの無い屋根に身を乗り出す。危ないだとか、そういう事を考える余裕はシーナには無かった。
「俺の見てきたルックはほとんど不機嫌そうな顔していたけど……だけど、そればっかりじゃない事も知ってる。俺が惹かれたのは、お前なんだ」
階段に掛かったルックの足が止まった。真下に見えるルックの背が遠い。
今しか言う機会は無いのではないか、そう思って声を大きくした。他の城の住人に聞かれたって構うものか。
「ルック! 俺は、他の誰でもない、お前が…」
「僕には何も聞こえないよ」
声が、喉で凍りつく。
先は言わせない。肯定もせず否定もせず、けれどそれは無関心だと宣告する言葉。
特に大きい声でもなかった。それでも真っ直ぐに風に運ばれてきたルックの声。一語一語が聞き間違えようの無い明瞭な発音だった。
シーナの目の前でルックは無言で階段を下りて行った。ルックの姿が消えても、シーナはその場を見つめ続けた。秋風が肌に冷たい。
片手に握ったままの鏡を覗く。
手のひらに収まる鏡に映るのは情けなさそうな自分の顔。
泣いてたまるものか。泣いてたまるものか。
鏡の中で歪んでゆく自分の姿をシーナは目を逸らさずに見続けた。
end
1999/10/08初出、原題「その瞳に映るもの」
2001/10/11改稿
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