+  言の葉  +



「どうしてルックは僕の名前を呼んでくれないの?」
 ぽつりと耳に届いた小さな声。
 聞こえた方を向くとアシナがじっとルックを見ていた。
 いつか聞かれるだろうとは予想はしていたけれど、やはり口篭もってしまう。
「……呼びたくないからだよ」
「ルック」
 真摯な様子で見詰めるアシナに、ルックは溜息をついた。
「……どうだって良いじゃない。そんなに名前を呼んで欲しいの?」
「僕はルックが好きだから幾らでも呼ぶよ。でもルックは一言だって僕の名前を口にしてくれない。他の人の名前なら呼ぶくせに」
 悔しそうに呟く姿に少し罪悪感を感じた。
 自分の胸の内を明かすのは好きではなかったけれど。
「……そうだね、まだ呼んであげる気にはなれないけど、ね」
 少しくらいなら良いかな、そんな気がした。
 近付いて、そっとアシナの頬に触れてみる。温かく感じるのは自分の手が冷え切っているからか。
「言葉に出して言うって事は誰もが思っているほど、単純な事じゃないんだよ」
 言葉を一つ一つ慎重に選ぶ。アシナに言い聞かせるように、そして同時に自分に言い聞かせるように。
「一度口に出してしまえばそれはもう取り消せない。言葉にした瞬間にそれは言葉以上の意味を持つんだ。僕はその意味を大切にしたい。だから容易にあんたの名前を口にしたくないんだ」
「それは他の名前とは違うって事?」
 アシナは頬に触れる手に、自分の手を重ねた。素肌の感触が心地良い。手袋を取った手は、日に当たる事が無かったため不自然に白かった。
「そうだね。ビクトールやフリック、シーナ達の名前とは違うかな」
 指折り名前を数えていると、アシナはそっと目を伏せた。
「光栄な事だね。……それでも、今名前を呼んで欲しいって思うのは贅沢なのかな」
 消え入りそうな声に心が軋む。
「う…ん…正直に言うと……僕が自然にあんたの名前を呼べる日がくるまで待っていて欲しい……」
 駄目? というように首を傾げる。
 アシナは触れていた手を離し、ぎゅっと強くルックの身体を抱きしめた。
「待つよ。いつまでだって待つから……だから、いつか必ず僕の名前を呼んで」
 たとえ何処にいても、どんな状況でも、すぐにルックの元へ駆けつけるから。
 痛いくらいに伝わる気持ちが、心に染みた。今同じ気持ちを返してやれたらどんなに安らぐだろう。けれど不自由な自分にはまだ不可能な事だった。
 それでも、少しでもアシナの気持ちを軽くしてやりたくて必死に言葉を紡ぐ。
「……言葉に出す事で、実が虚に、虚が実に変わる事もあるんだ。それくらい、言葉は大切なものなんだよ。だから、僕は迂闊な事は言わないし、……言えない」
 でもね。
 抱きしめられた身体をそのままに、アシナの肩に頭を寄り掛からせた。
「こうして言葉にして約束した事だけは、絶対に守るから。だから、僕を信じて……」
 背伸びして耳元に口を近づける。
 そして小さく呟いた。
 ――信じて。いつか、いつか必ず……

 身体を放そうとしたルックを、アシナは腕に力を入れて抱きしめた。痛いよ、と身動ぎしても放さない。自分よりも一回り小さい体を体全体で感じ取りたかった。
 せめて今だけは。
 思う存分、ルックの存在を確かめたかった。
 再び会うその日まで、ルックの事を一欠けも忘れないように。

 振り返ることの無い後姿を名残惜しく見守った。
 止める事の出来ない別れは、いつか再び会うためにあるのだ、と自分に言い聞かせる。

 いつか、いつか――



end
1999/10/13初出 ・ 2001/10/11改稿

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