+ 荒唐無稽 +
麗らかな春の日差しの中、消毒液がしみる感覚に、シーナは顔を歪ませた。
「いてててて。頼むよ、ホウアンさん。もうちょっと優しく……」
半ば演技するように頼めば、周りにいた女たちがさざめくように笑った。それに答えるように、シーナもまた、にっと笑う。
「我慢して下さい。あと少しですから」
苦笑してホウアンが治療した後を、トウタが丁寧に包帯で巻いていく。
「いったいどこでこんな傷を作ってきたんですか? 今日はどこにも行かなかったはずでしょう?」
ホウアンの問いに曖昧な笑みを返すと、それ以上は聞いてはこなかった。
増えていく包帯の白を自嘲気味に観察しながら、シーナは傷の原因となった出来事を思い返した。
「一つ、二つ……」
「随分適当に積み上げてあるなぁ……」
そう大きくもない地下牢には、現在数多くの物資の包みが置かれていた。増築にともない、適当な場所が見つからなかった為、一時的にここに保管されているのだ。
乱雑に置かれた物資のせいで、何も知らない者が見れば単なる地下室程度にしか思わない有り様だった。
それでも、ところどころに地下牢であった名残を見かける。鉄格子の存在もそのうちの一つだったが、
「へえ、うちの城にもこんなのあったんだ」
地下牢の壁と短い鎖で繋がった手錠をシーナは手に取った。誰も使うあては無いだろうに、意外としっかりした作りだった。もっとも、そうでなくてはいざと言う時に役には立たないだろう。
「シーナ、なに気を散らしているんだよ」
ふらふらと物珍しげに見回しているシーナを、ルックが咎めた。
「ああ、いや、……ルック?」
「こっちが十五で、あっちが……」
答えた時には、ルックは既に包みを数える事に集中している。
シーナは肩をすくめた。
――ルックには、踏ん反り返っている姿の方が似合うと思ったが、真面目に働く姿も案外似合うかもしれない。
そう思ったが、口には出さなかった。
それよりも、とシーナは手錠を弄んだ――どうやら、地下牢の鍵と一緒に渡された鍵束の中に、手錠の鍵も含まれているようだった。
――これも使えって事か?
軍主であるセリオは、シーナとルックに、地下牢に一時的に保管してある物資の確認を頼んだ。一般兵の仕事だろうとルックは文句を言ったが、実際はそれだけではなかった事をシーナは知っている。
ルックには秘密にしていたが、シーナにはルックとは別にもう一件、頼まれている事があった。
「これで全部、と」
シーナが手錠を弄んでいるうちに、ルックは仕事を終えたらしい。手早く確認を終えると、ルックはこんな所に長居は無用と地下牢の壁に背を向けた。
「ああ、ルック、あっち」
「え?」
シーナが指差した天井の隅を、ルックは何の疑いなく見上げた。注意のそれた隙に、シーナはルックの左手首に、先程の手錠を素早くはめる。
――かちり、という小さな音と同時に鍵がしまった。
手元が重く感じたのか、ルックは自分の左手首に視線を落とした。そこから繋がる鎖を、目線で辿る。それが壁に繋がっているのを確認すると、唖然とした。
それを横目に、シーナは牢から出て鉄格子にも鍵をかける。
「……ちょっと、これは……どういうつもり?」
鉄格子を挟んで、ルックはシーナを睨み付けた。言葉の間に挟まれる沈黙が、ルックのふつふつと沸き起こる感情を表している。
「いや、頼まれ事」
「……何だって?」
肩と声を震わせて凄むルックに、シーナは未だかつてない危機感を感じた。
「短くても明日の朝までルックを地下牢にでも閉じ込めておけって」
「誰からっ?!」
「……先に言っておくけど、俺は何の関係も無いからな」
「早くっ」
短い沈黙の間、鍵を手元で遊ばせてから、シーナは
「………我らが軍主殿」
「――切り裂きっ!」
言うと同時に魔法が飛ぶ。鉄格子には対魔法加工がしてあったのか、傷一つつかなかった。が、それを通り越してシーナは直撃を被る事になった。
「何で俺だけが……」
「終わりました……何か言いましたか?」
「いや、独り言」
ホウアンとトウタに礼を言うとシーナは立ち上がった。とりあえず、地下牢の鍵を誰かしらに返しておかねばならない。
――報告ついでにシュウにでも押し付けるか。
重傷の傷を負ってからすでに一時間は経っている。春らしい陽気も夕刻の訪れと共に弱まり、僅かながら吹く風がさらにその気配を追い払っていた。
ふと中庭の木の下に、副軍師であるクラウスがいる事に気付いた。どうせ近いうちにシュウの所へ行くだろう、ついでに鍵も持っていってもらおうかと考えた。が、どうやら読書に夢中になっているようだった。
まあ、いいかとシーナは城内に足を踏み入れた。
わかりきっている事だったが、石板の前にルックの姿は見えなかった。今ごろ、地下牢で不機嫌に顔を歪めている事だろう。
アダリー作のエレベータに乗り込みながら、シーナは突然自己嫌悪に襲われた。
セリオの二つ目の頼み事の意図はすぐに汲み取れた。グレッグミンスターへ行くのだと聞いていたので、目的はトラン共和国の英雄だろう。
アシナは個々の戦闘には参加したが、戦争の参加は強固に拒んでいた。また、城に留まる事を良しとせず、セリオの目を盗んで必ずグレッグミンスターへと帰ってしまう。
最初はビッキーに頼んでバナーの村まで跳ばしてもらっていたようだが、それに対してセリオがビッキーに禁止命令を出すと、ルックに頼むようになった。セリオはルックにも禁止命令を出したようだったが、それは守られていないようだ。
そして、セリオは強硬手段に出た。
即ち、テレポート能力を持った仲間を徹底してアシナの前から排除する事にしたのだ。
もっとも、それだけではないだろう。
セリオは、アシナとルックの間にある、二人だけが共有している空気に気付いていた筈だ。そう考えれば、単純にアシナからルックを遠ざけたかったというとらえ方も出来る。
――幼い独占欲だ。
セリオから話を持ちかけられた時、シーナは心の中でそう嘲笑った。
しかし、それがシーナに自己嫌悪をもたらした。
セリオが他ならぬ自分に話を持ちかけたのは何故だ?
何の見返りも求めずに、どうして自分は話に乗った?
握り締めた鍵が、手のひらに食い込む。
それを痛いとは感じなかった。
……小さく音がして、エレベータが開いた。
自分が今どういった顔をしているのか、シーナにはわからなかった。いくらか無理をして表情を消すとシュウの部屋に入った。
「地下牢の物資の確認。と、地下牢の鍵」
おざなりの挨拶をして、シーナが無愛想に執務用の机に持ってきた物を投げ出すと、シュウは興味深げにシーナの顔を見上げた。その態度にシーナは苛立った。
「何だよ、傷の事なら無視してくれ」
「いや。……不本意そうな顔をしているな」
「不本意……?」
シーナは首を捻った。
シュウは手に持った羽ペンの先でシーナを示しながら答えた。
「らしくない事をした、と自分を持て余しているだろう」
「………」
「どうした」
「……さあね」
考え込むように呟いた。自己嫌悪の度は深まったが、方向性がわかった気がした。
溜息をつくと、シーナは扉に向かった。
「あんたの言う事は、抽象的過ぎてわかりづらいよ」
素直には感謝できず、ただ無気力そうに悪態をついた。
ルックとアシナを会わせたくなかった、という感情が、意識はしていなくても一番の理由だったのだろう。
けれどその為に、姑息な手に出た事が余計にシーナを自己嫌悪に追い込んだ。
どうしたら、この鬱々とした気分から脱出できるだろうか。
特に目的もなく、ただぶらぶらと城内を歩き回っていると、前方から見知った二人が歩いてきた。
一方は実に楽しげで、一方は苦笑しながら引き摺り回されている、と言った様子だ。
憂鬱の原因。
二人はシーナの方へ歩いて来た。
近付くとアシナがシーナに気付いたのか、片手をあげた。何の気負いも見せず、シーナに笑いかけた。
……シーナの頭の中で何か弾けた。
すれ違った瞬間。
気付いた時には、シーナはアシナの手を取って近くの角に身を隠していた。自分でも不可解な行動だったと思う。
「シーナ?」
怪訝そうなアシナに、静かにと声をひそめさせる。
「どうせ帰るつもりなんだろ? ……シュウの部屋はわかるな? そこで地下牢の鍵を受け取って来な。それが一番近い帰り道だ」
悪戯めいた表情が、自然に浮かんできた。
「せいぜい、セリオに見つからないようにな」
口の端を上げて、シーナは笑った。背中を軽く叩いてアシナを追い立てると、ゆっくりと反対方向へ歩き出す。
小さく、ありがとう、と聞こえた。
後ろを振り返らなくても、アシナが駆け出したのがわかった。
敵に塩を送る、という事になるのだろうか。もっとも、自己嫌悪に陥るような事を自分でしておいて、それを無駄にしただけなのだが。
「何してるんだろうなぁ、俺」
口とは裏腹に、笑みがこぼれた。
頭の後ろで腕を組みぼやいていると、やけに陽気な鼻歌が出てきた。
とりあえず、少し前までの鬱屈とした気持ちだけは綺麗に消えている。
損得は関係ない。
きっとこれで良いのだろう、気分は晴れ晴れとしていた。
セリオに感付かれたら面倒臭い事になるなぁ、と頭の隅で考えながら、シーナは鼻歌を歌い続けた。
end
2000/04/13初出 ・ 2001/10/13改稿
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