「あんたが与えてくれるものなら、俺は何だって嬉しいんだよ?」










 +  誰も知らないあの丘で。/side:K  +




 その丘を知る者は、自分以外にいなかった。
 かつては知る者がいたとしても、それらは全て、自分が過去の領域に追いやった。たぶん、これからも木の葉隠れの里を一望できるこの丘を知る者は、自分以外にいないのだろう。
 本当は夕刻、西の空へと夕日がかかる瞬間が一番美しいのだ。昼間でも息を飲ませるに十分な迫力があるとは言え、それを見せる事が出来ないまま逝かせてしまった事が悔やまれる。
 腕の中に収まった身体はだらりと力が抜け、重力の働きそのままにその肢体を垂れていた。まだ温もりがあるとはいえ、いずれ消えていく事は頭の中で理解している。わかっていても、手放す事は出来なかった。
 そうすれば、本当にサスケが死んでしまう気がした。……否、もう息をしていないのに、そう思った。
 左胸の穴から体温が抜けていく。自分の耳にもかそけく届いた音の出所だ。そこから流れる赤い液体は、腕を伝い指を伝い、大地にどす黒い染みを作る。もう広がり尽くしてしまったように、先程からはほとんどその場に留まり続けている。
 その中に浸った自分のクナイ。もう手に取る気力も無い。本当はそれを視界に映し、認識する事さえ気が重い。
 心の中が虚ろだった。
 これまで手掛けてきたどんな任務でも、これ程の空虚を抱え込む事は無かった。まず何を成さねばならないのか、それすらも考える事が億劫だった。
 前日にそろそろ切りたいと話していたサスケの黒髪が、風で頼りなげになびく。それを撫でてやると、自分の手についた血糊でべたついた。
 さらさらした、その感触が好きだったのに。
 黒髪と、温もりの失われつつある白い肌との対比が、酷くカカシの心に歪みをもたらした。



「すごい……」
「木の葉隠れの里を一望できる場所が他にあろうとも、ここ以上の場所は無いだろうね」
「……あんたが見つけたのか?」
「もう何年も前の事か。敵を追ってここまで来て、それで知った」
「……その敵は?」
「殺した」
 即答すると、サスケは瞬間目を大きく見開いて、それから笑った。

「じゃあ、ここを知っているのはあんただけって訳だ」

 淡い笑みを交えて呟かれたその言葉が、サスケの最後の言葉となった。
 木の葉隠れの里を見入っていた、その背中をカカシは強く抱きしめて、そして、そのままその腕で、サスケの命を奪った。
 頬に触れてももう、即座に振り払う手は無い。疎ましそうに文句を言う声も無い。ただ赤く濡れた手が、その顔を汚すだけだ。
 ……触れる事もできなくなったな。
 虚ろな頭の中で、大して意味の無い言葉が浮き沈みする。
 ――ああ、そうだ。
 その中から、ようやく意味あるものを見つける事が出来た。
 これは喪失感と言うのだったか。
 ようやく自分の気持ちの方向性が解った気がした。少しだけ、頭の中が晴れて、まともな判断力が戻ってきた。
 ……そして気付いた。
 顔。
 そこには、苦痛に歪んだ箇所の一つも見当たらない。それは自分がそのように殺したからなのだが、それにしても。
 どうして。何故。
 その意味を理解しかねてカカシは呆然とした。
 サスケは。
 その死顔は笑っていた。どうしようもなく至福の中で逝ったような、迷いの無い表情。
 軽く閉じられた目蓋、そして、うっすらと浮かんだ口元の笑み。
 そう言えば、幾ら自分が上忍と言えども、気配くらいは気付いていた筈だ。だが、抵抗の類は一切感じられなかった。
 どうしてそんな簡単な事すら見過ごしていたのだろう。
 どんな気持ちで逝った?
 最後にサスケが見ていたものを確かめたくて顔を上げて、カカシははっとした。
 頬を滑り落ちる雫。
 思わず瞬くと、ぽつと地面に染みを作る。
 遠く色を変え始めた木の葉隠れの里が、歪んで見えた。

「泣いているのか、俺は……」

 微かに掠れた声が、自分らしくないと思う。
 触れてみても、それが涙だと気付くのに少し時間がかかった。そんなものは、とうに枯れ果てていたと思っていた。
 止めようとしても止められないそれを、カカシはそのままにした。
 嗚咽はあがらなかった。仕方を忘れていたし、そうする資格も無いだろう。
 けれど。
 止められないこの涙だけは許して欲しい。
 この滂沱は、紛れも無くお前の為のものだから。


「あんたの与えてくれるものなら、俺は何だって嬉しいんだよ?」


 ――ああ、おまえは気付いていたんだな。

 心に残った最後の虚ろから浮かび上がった独白は、語られる事なく。

 その日は疑いたくなるほど、空が澄み切っていて、夕映えの空を従えた木の葉隠れの里は例え様もないくらい美しかった。



>>side:S

2000/10/31初出

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