+ 誰も知らないあの丘で。/side:S +
気付いていないのだと、思う。
何かをはぐらかしたり、躊躇ったり、遣る瀬無い思いを抱いている時カカシは、サスケの頭をくしゃりと撫でる癖があった。
無意識から生じるその動作が、文句を言いながら、そして申し訳ないとは思いながら、サスケは好きだった。
何も言わずに髪に指を絡ませて、それでカカシの気が収まるのならば、安いものだ。
他のどこに触られてもサスケは嫌がったが、黙って頭を撫でるその時だけは、何があっても騙されていてやろう、そう思っていた。
どこへ、とも示さずに、カカシはサスケを連れて里を出た。それでも真っ直ぐに歩む所を見ると、行き先は既に決まっているらしい。
何も言わずに自分を導く男をサスケは、じっと見上げる。
今朝会った時から違和感を感じていた。それはきっと、いつもより頭を撫でられているからだと思う。いつもと同じように笑い、おどけるその中に、何か普段と違うものを嗅ぎ取っていた。
カカシの心内を密かに気に掛けながら、それなのにその行為自体は好きなので、つい顔が綻んでしまう。我ながら現金だ。
その様子を見て、カカシは
「今日は機嫌が良いな」
などと言ったが、実際の所、サスケ自身よくわからなかった。
遣る瀬無い思いを抱え、鬱々として欲しくはない。
だが同時に、くしゃりと髪を撫でてくれる事自体は好きなのだ。
どちらの気持ちも本当で、どちらも言えなくて、せめて。
「あんたが与えてくれるものなら、俺は何だって嬉しいんだよ?」
言ってみたけれど、カカシには届いていないようだった。
「そうか」
気の無い返事に悲しくなる。抗議しようとして、何故かはばかられて、そうしている内に、また頭をくしゃりと撫でられた。
結局うつむく事しか出来ず、それでますます悲しくなった。
「すごい……」
思わず、息を飲んだ。
随分と長いこと坂を登り続けていたせいで、身体中に疲れが見え始めていた。それが一瞬にして黙る。
急に森の開けたそこは、その高度ゆえに多少風が強かった。先は崖のように切り立っていたが、その手前までは下草が柔らかく生えている。ちょっとした運動は出来そうな空間があった。
だがそれよりも、眼下に広がる光景が何よりもまず、目を引くだろう。長年住んでいるにも関わらず、いまだ未知の部分を残す木の葉隠れの里が、この丘からは一度に見渡す事ができ、そして絶景を描いていた。
サスケは目の前に広がる光景に目を奪われた。
「木の葉隠れの里を一望できる場所が他にあろうとも、ここ以上の場所は無いだろうね」
いつものように飄々と、しかし何処か満足げにカカシが評す。ちらりと横に並ぶ男の様子を盗み見ると、眩しそうに目を細めて里を見ていた。
ふと視線を動かし、目が合った。向こうがにっと笑ったので、こちらは目を逸らしてやった。すぐさま苦笑いと共にくしゃくしゃと頭を撫で回された。
「……あんたが見つけたのか?」
「もう何年も前の事か。敵を追ってここまで来て、それで知った」
「……その敵は?」
「殺した」
即座に返された言葉に、何となく予感がした。
あぁ、そうか。
感じ続けていた違和感の果て。カカシが、サスケをこの丘に連れて来た、理由。
訳も無く、唐突に理解ってしまった。
本来は蒼褪めたり怒ったりするものなのだろうが、何故だろう、嬉しくなった。
「じゃあ、ここを知っているのはあんただけって訳だ」
その心情を反映してか、そう口に出して言ってみた言葉は、どことなく楽しそうだった。きっとこの言葉は今後も正しくあるだろうと思うと、ますます楽しくなった。
ならば。
大人しくしていてやろう。最後まで、気付かなかった振りを貫いてやろう。
自然な動作で一歩前へ出る。自分から無防備な背を向ける日が来るなんて、想像も出来なかった。背後で、カカシが神経を研ぎ澄ましている様が感じられた。
目を上げれば広がる里の光景。緑に埋没するように背の高い屋根が見え隠れする。せっかく分け与えてくれたのだから、この光景を余す所無く記憶してやろう。そっと、心の中で宣言する。
背後から体重がかかった。すぐに、カカシに抱きしめられたのだとわかる。
上忍も、こうなっては形無しだ。
胸の前で交差したカカシの腕に手を伸ばそうとした。しかし、触れる直前に。
とす、と小さな音を左胸に聞いた。
痛みは感じなかった。その代わり、そこからどうしようもなく幸福感が滲み出た。眠気を感じながら上げかけていた腕から力が抜け、落ちる。自分の左胸に刺さったクナイがとても滑稽に見えた。
薄れゆく意識の中、サスケは幸福感に酩酊しながら、うっすらと笑んだ。
――あんたが与えてくれるものなら、俺は何だって嬉しいんだよ?
そう。それがたとえ、強制的な死だとしても。
ばいばい。大好きだった先生。
暗闇の中で、最後にサスケは手を振った。
>>side:K
2000/10/31初出
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